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konoreのブログ、話がよく飛ぶ

「告白」感想文 - written on Sep 13, 2016

 心の一部が虚無にとらわれている。熊太郎が死んだということがリアルで、おそろしくて悲しくて、取り憑かれている。 

 熊太郎には心底苛立たされた。だれかのレビューに「純粋」「根っからの悪じゃない」と書かれていれば、強い反発すらおぼえるほどに。「あいつはただの回りくどい阿呆で、善意もなにも自尊心で汚れてんじゃん」と、心中で毒づいた。同族嫌悪は愛より強い。いや、自己愛そのものか。

 熊太郎が死んだとき、本人が前提と思っていた善、悪も一緒に死んだ。決して破られることのない絶対的な正義や、他者からの無償の愛が。

 前提というより、信仰と言ったほうがいいかもしれない。信仰は、理想と現実の乖離なしには生まれない。極楽へという空疎な祈りは、錯雑に満ちた現実によるものだ。何かを命がけで希求することは、誰かから命がけで拒絶されている、ということなんだろう。その錯綜のくだくだしさは842ページにも及ぶ。 

 自分が悪性だと悟る熊太郎が腹立たしい。頑張って良いことをしようとする熊太郎が恥ずかしい。おまえの中の善悪に則って、どれほど人の心を無視しているのか。そのくせ、どれほど手放しに庇護を要求しているのか。それをようやく、こんな口調で理解したとき、熊太郎は価値観ではなく命を捨てることになった。文字通りゴミのように命を捨てるしかなかった。

 常識など人それぞれで、私たちは破ったり破られたりしながら生きている。散り散りになったページを再編するとき、不思議と知らないページが紛れ込んでいて理解が深まるときもある。それならいい。それでも編みなおせないときは、何度調えてもグチャグチャの代物になってしまう。そのうち、人間のほうをびりびりに破りたくなる。

 そうして熊太郎は八つ裂きにした。何人も殺した。苦しみが降り積もる一方だと知っても。死に固定された他人は壁となって、行き止まりを作る。熊太郎は壁に囲まれた世界で、みんなの常識におびえながら犯され続ける。最後までわれこそが純潔と信じながら。

 殺人して自殺したかのような感覚が重たくて悲しくて儚い。私も熊太郎。私が熊太郎? 心のモザイクの、その一片が熊太郎。はてしなく虚しくて悲しくてやるかたない。河内音頭町田康に敬服。