solivachi2

konoreのブログ、話がよく飛ぶ

アレシンスキーを見てきた。

        https://www.instagram.com/p/BNq69MaFGw9/

滑り込みシリーズ最終日はアレシンスキー、こういう絵になんで親しみをおぼえるのかと思ってましたが本人監督のドキュメンタリー「日本の書」を見てひらめきました。まさに表意文字的で、一本の線に一本の線以上のあれが込められてるからなのですね。それも喜びのために。ある嗚呼。昨日と逆の地平に来たわあ。今夜もブログ書こうと思います。でも寒すぎてブンカムラから出られない、、、、、、

 

 昨日ダリに関連して、表音文字(英語)と表意文字(日本語)についてふぁっと触れた影響か、こういう見方になりました。コピーにはおとろえぬ情熱とあるけど、情熱というより、たぶん線を引いた瞬間に一回行為が完結しちゃうから辞められないんだろうなって思った。その連続性に共感しました。

 日本の書家に影響されたとのことで、会場内でアレシンスキー自身が監督した「日本の書」というドキュメンタリーが放映されてましたがこれが良かったです。

 映像自体、小津安二郎(だいすき)的な固定カットを多様するのどか〜な切り取り方で、50年代の日本の町の看板やのぼりの筆文字をいっぱい拾ってました。かなりかわいい。のに、オリエンタルな感じにしようとしたのかだいぶ奇っ怪なBGMがつけられていて、そのギャップにはちょっと笑ってしまいました。

 他には小学生の習字の授業シーンがあったんですけど、先生が教壇にたって、空中に手でとめはねを書くわけですね。子どもたちも一斉に先生の動きと同期する。そういえばそんなのあったなあ。この運動が、改めて見るととても描画的で、これが「静」とか「朝」とか一字の意味を描くプロセスであるっていうのは確かに衝撃的だと思いました。決して装飾のためではないのがカリグラフィーとは違うところ。

 あとは当時の書家として森田子龍、篠田桃紅、江口草玄、森田竹華が出てきて作品を書いたりしていて、誰一人知らない私は江口草弦と篠田桃紅にかんぺきにノックアウトされました。かっこいいぃぃぃぃぃい。子どものころは書道の時間が嫌でしょうがなかったし、今でも自分の肉筆に何かを託すことはできないけど、この出会いで少し変わるかもしれません。ハッピィな予感です。

 総じてある時期以降のアレシンスキーの筆使いには、書以上であろうという熱意を感じました。抗うぞっていう気概にも思えた。それがよかったなあ。ぜんぜん違うかもしれないけど。なんか長くなりましたね。楽しかったです。